すべての音楽に関わる仕事の中で「作曲家」がいちばんカッコイイと思っていました(笑)
できれば弾き語りをするシンガーソングライターみたいな人ではなく、メロディーと名前だけ有名な作曲専門の人になりたいと強く思っていたことがあります。
理由は、それが自分の描くいちばんカッコイイ「自分像」だったから。
私の曲が早い時期に売れて、印税で暮らせていれば、そのほかの周辺作業はしていなかったかもしれません。
私の価値観では、あれもこれもというマルチなタイプの人よりは、
どちらかというと「専門」とか「職人」という路線に対する「憧れ」や「尊敬」が強いのです。
ただ、やっぱり合奏はやめられなくて..。..。(早くもオチ...笑)
自分の創った曲を心地よいサウンドとして形にして誰かに聴いてもらわないことには、作曲した事実さえ歴史に残らない。
それはサビシイ。。。
そして、いろんな人に聞いてもらえるように日本語の詞で歌もつけるとしたら、
どんなに内容の深い泣ける日本語でも、響きが音楽になっていないと「歌詞」にはならない。
歌詞はリズム、サウンドを大きく左右するし、それを伝える手段は歌唱そのもの。
そんな風に考えながら、
迷ったり悩んだり、自分を好きになったり嫌いになったりしながら、
ずっとやめられずに、この音楽にまつわる作業を繰り返しています。
以前は、弾き語りのシンガーソングライターさんって、
作詞も作曲も演奏も、どれも専門家としては通用しないんじゃないか...
なんて辛口な見方をしていたこともあります。
生意気ですよね .....(^ ^;)
でも、みんな表現手段というところで戦っているか、
あるいは、それが本人にとっていちばん自然な形で何の疑問も持たないかのどちらかなのでしょうね。
得手不得手も全部含めた総合的な魅力で勝負できるからシンガーソングライターというポジションがあるのかもしれないですね。
スキャンダラスな生き方でさえそのアーティストの一部だったり。
私も、昔の自分に辛口な評価をされないよう(..苦笑)
アレンジ、作詞、ヴォーカル...どの作業にも楽しく取り組みつつ、レベルを上げていけたら幸せですね。
頑固だった私もだんだん柔軟になってきて(...含)
今なら、自分がどこで何をしていても、
見たものも食べたものも、散歩もお風呂も、元気でも不調でも・・・
すべてのプロセスが全部、自分の音楽になって残ると信じられるようになりました。
生きているうちはいろいろチャレンジするかもしれませんが、
死んだ後は「作曲家の倉佐木玲那」と書いてもらえるでしょうか?(笑)
<2006. 4.11.>
|